伊座利は、変な村です。 都会のような便利な生活はありません。

でも、「なにもないけど、なにかある」、
それが伊座利です。

<目次>

はじめに

伊座利は人口100人ほどの小さな漁村です。
その約半数が、全国各地から移住してきた人たちです。

できることなら、もっとたくさんのいろいろな方々を受け入れたいと思っているのですが、何せ、住む家(空き家)に限りがあるんです。

だから、「来てください」、「住んでください」といった受け入れ方はしていません。

地域の一員となっていただける方(家族)を「面接」で決めています。
対象は、若い世代の夫婦、子どもを持つ家族。
地域の一員となって、地域の将来を担っていく活力となってもらえる方、
そして全て自己責任で生活ができる方です。

伊座利に限らず、田舎生活はどこも甘くありません。

それでも、伊座利に住みたい!という方は、 一度物見遊山で伊座利を見に来てみてください。

なにもないけど、なにかある

三方を山と入り組んだ海岸線に囲まれた、50世帯余りが暮らす、美波町内で最も小さな漁村集落です。
特別な観光名所も、有名な料理もありません。

ただ、変な人たちがたくさんいます。

一度会ったら忘れたくても忘れられない、強烈で助平で変なおっちゃんととびきり明るく元気なおばちゃんたちがいます。

無骨で気ままでテキトー。でも、なんだか熱くて、芯がある。それが伊座利流。出会ってしまったが最後。後ひきます。

まとまりなんてありません。

でも、たとえば、子どもには一番人気だけど机仕事が苦手なおっちゃんや、人は良いがケンカっ早くて金勘定の 下手なおっちゃんなど、みんな得意不得意・できることとできんことがあります。だから補い合う。うまくいかないこともいっぱいあるけど、みんなが互いの違いを 認め合っています。

バラバラだからいいんです。 本音でぶつかって、本気を出します。

伊座利では、平成11年から村外から伊座利校(小学校と中学校分校)への留学生を受け入れています。

毎年、いろんな親子が伊座利へやって来ますが、一旦、伊座利に入って来た子は“伊座利の子“。大人たちみんなで育てます。

だから、伊座利のおっちゃん、おばちゃんは、子どもが間違ったことをすれば本気でどなります、叱ります。

つまるところ、伊座利には「愛」があるんです。

伊座利の住民の約6割が移住してきた人たちです。伊座利の主役は、子どもからお年寄りまで「住民全員」です。

伊座利地区の活動が続いている理由10ケ条

①違いを認めること(十人十色、百人百様)
②動くこと(話し合うだけ、考えるだけでは何も解決しない)
③気づいたことを、気づいた人が行動すること(気づきから活動へ)
④何をするかは自分達で考え実行すること
 (実践経験のない行政マン、学者、コンサルなどに振り回されない)
⑤普段着であること(似合わないネクタイや化粧をしない)
⑥住民が楽しむこと(過大なもてなしはしない)
⑦子供も大人も、みんなが対等であること
⑧活動を義務づけないこと(参加は自由)
⑨無理をしないこと
⑩グチを言わないこと

伊座利があるところ

徳島県南部、太平洋に面した美波町の東の端っこにあります。
徳島市内から車で約1時間半、徳島空港からは約1時間40分です。

指さし 交通アクセス詳細

田舎でテレワーク

背後の山が直接海に迫り、平地が殆んどないため、漁業が唯一の産業です。大敷網(定置網)漁や、夏の海士(あま)によるあわび漁、秋の伊勢海老漁などで地域社会と経済が成り立っています。

地区内には、スーパーもコンビニもありません。

車で通行中には、シカやウサギなどの野生生物に遭遇します。
小川には子どもたちのおやつになるテナガエビが生息しています。

伊座利へのアクセスMAP

伊座利の地名の由来


「いざり」は、魚介類を獲ることを意味する「いさり」という漁の古語から来ているという説があります。
といっても、この根拠になる資料のようなものがあるわけではありませんが、お寺にある過去帳によると、元禄(1688年)の頃には100人程度の人が住んでいたと推察され、アワビや海藻類を採って生活をしていたことから、地名が漁(いさり)になったと伝えられています。
伊座利

伊座利の地域づくりのはじまり

合言葉は、学校の灯を消すな!

伊座利地区には、住民が愛着を込めて伊座利校(通称)と呼ぶ、「へき地2級」の町立の小学校と中学校分校があります。小学生と中学生の子どもたちが同じ校舎で学ぶ小中併設校です。

その伊座利校が、急激な過疎化と高齢化で児童生徒数が激減し、廃校の危機に直面したのです。

伊座利校は地区の宝。子どもたちの笑い声が響く希望の源であり、住民総出の地区の運動会など集って楽しむつながりの場です。大事な地区のシンボルがなくなることは、まさしく伊座利地区の存亡の危機でした。

「何とかできないか」
私たちは悩み、「学校の灯を消すな!」を合言葉に、行政に、留学制度導入の提案や学校存続を陳情・要望するも反応は鈍く、やがて、行政からの支援を諦め、独自に留学生の受け入れへと立ち上がりました。

廃校問題が表面化してから、6年が過ぎていました。

住民全員が主役の協議会が発足

公的な補助や支援を受けずに初めて独自に行った活動が、「おいでよ海の学校へ」です。この伊座利校へ児童生徒の転校を呼びかける漁村体験イベントは、1999年1月に第1回目を開催以降、現在まで続いています。企画から運営に至るまで全てが地区住民の手づくりです。

この活動は、地区に活気と元気をもたらしました。しかし、その一方で、2つの大きな問題も浮かび上がらせました。

1つは、転入者の受け入れ施設(住宅)がないこと(※1)。空き家はありますが、住 宅としてすぐに使えそうな空き家の大半は、盆や正月などに帰郷する地区出身の都市部在住者の家でした。

2つ目は、漁業以外に働く場をどう確保していくかでした(※2)。

私たちは仕事の合間を見つけては寄り合い、こうした課題の解決には、自主的・創造的な地域づくりが必要だと考えるようになりました。

そして、2000年4月、子どもからお年寄りまで全住民で構成し、町内会や漁協、学校、婦人会など、地区内のあらゆる団体とも融合する地域づくり活動団体「伊座利の未来を考える推進協議会」(以下、「協議会」)を結成しました。

以降、交流をキーワードに、本格的に漁村留学などを開始しました。

伊座利の地区活性化活動の中心を担っているのは、協議会です。互いの違いを認め合いな がら、「活動を義務づけず」、「無理をせず」、「グチを言わずに」をモットーに、役割を分担して活動しています。

※1 転入者の受け入れ住宅
空き家を協議会が改修し、移住者の住まいとして提供しています。
ただし、使える空き家の戸数が足りません。そのため、移住希望者を選ばせていただいています。

※2 漁業以外の働く場
基本的には、自ら仕事を探し自立して暮らせる方に住んでいただくことにしています。
漁師の仕事についての詳細は「伊座利の仕事事情」をご覧ください。